アジア放浪と里山輪行

ボッーと流されるままの人生を送って居る時、澤木耕太郎の放浪記「深夜特急」に感化された貧乏放浪旅です。 将来僅かな年金で沈没(旅の途中長期に留まる)しながら放浪をするには、如何ほど有れば出来るか、リタイア生活の予行演習でも在り、日本人に生まれた幸せの確認旅でも在りました。 男のロマンか経済格差を利用した卑怯者か?

カテゴリ: タイ西部 05年

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近くのチャイナタウンに行きました。

いや、行く筈でした。




3~4回は、行っているのに、また迷いました




随分歩いているのに、若干チャイナの雰囲気はある物の明らかに違います。




広い通りからソイ(通り)に入って行くが、チャイナタウンには出ません。

広い通りが、ヤワラー通りで無いので、間違っているのは分かっていました。

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貴金属屋を覗いていた田中が、入ろうと言います。

田中は、貴金属や光物には興味が無い、立派かつ感心な性格をしています。

もちろんおっさんは、それ以上に興味は有りません。




実は、バンコクに入った頃から腕時計が、動かなく成っていました。

電池は、日本を出る前に交換したので、故障に間違い有りません。




おっさんの読みでは、


砂塵を被り真っ赤に成った時に、時計も赤い埃を吸い込んだと思っています。

バンドも汗まみれで寿命でした。




以前ラオスのバンビエンで、一緒に成った兄ちゃんが、

カメラをビニール袋に入れていました。




埃っぽいラオスでは、

こうしないと、シャッターが動かなく成るそうです。




その時に、学習した筈ですが、実行するのを忘れていました。




一番シンプルなアナログ時計を選び値段交渉しますが、

LOBORはブランド品とかで、負かりません。




たとえブランド品でも本物か怪しい店です。




結局、華僑の貴金属ブローカーの前では、

おっさんや田中は、赤子同様で、殆ど言い値(B750≒\2200)で買いました。




その時計も、3年経った最近動かなくなってしまいました。

パチもんにしても、結構良い値なので、電池切れと思うのですが、

携帯を持ち歩く現在は、必要性を感じませんのでそのままです。




チャイナタウンの直ぐ近くと思うが、

またまたまた迷子に成ってしまったので、タクシーに乗りました。




ところが、随分南の方へ行っていた様で、

ワンメーター処では有りませんでした。





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“地〇の歩き方”には、チャーム海岸沿い中心付近に、

バンコク行きエアコンバスの乗り場と書かれていますが、分かりません。





諦めて、来る時に降りた国道筋で乗る事にしましたが、

1,5kmも歩く気は、ふたり共ありません。

停まっているソンテウ(トラックタクシ)に交渉します。





直ぐ其処なので、値切ったが、高い(B40≒\120)事を言います。

クーラーが、キンキンに効いた新車で、

ソンテウにしては、運転手の様子も違います。





普通のトラックに、交渉していたようでした。

チップこそ渡さなかったが、丁重に礼を言って降りました。

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バスは、途中から乗って座れるか心配でしたが、

別々の席(B113×2≒\700)で、立たずに済みました。






4時間ほどでバンコク南バスターミナルに着き、

タクシーでホランボン駅(B86≒\255)に向かい、

チェンマイ行きの夜行寝台券を求めます。





外国で切符を買う時は、話せないので、

何時も紙に行き先・列車番号・希望等を書いて買うようにしています。





そうしないと、某赤い大陸の世界大運動会をする国の様に、

言葉が通じないと分かると面倒なのか、無いといわれる恐れが有ります。




窓口に、切符を入れる袋が有ったので、

待っている間に、必要事項を書き込み

寝台券と分る様にベッドの絵も添え、

今夜のチェンマイまでの寝台券なら

どの列車でも良いと書いて窓口に出します。





一言も聞かれる事も無く一発で通じ、

第一希望の19:40発の2等上下寝台(B1412≒\4230)を

即発券してくれました。





寝台券が取れなければ、バンコクで一泊する気でしたが助かりました。

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駅に荷物を預け(B55≒\165)直ぐ其処のチャイナタウンに向かいます。

チャイナタウンは、確か歩いて直ぐ其処のはずです。





3回ほど来ているのに、間違いました。

通りを一本間違えて、南へ南へ行ってしまい、タクシーに乗る始末です。





思えば、バンコクでは、迷ってばかりでした。

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タイ西部海岸のリゾートビーチ、チャームにやって来ました。

此処に来るまでに、チャン島パタヤにも行きましたので、

戻るような感じで来る事も無かったのですが、

田中浜辺でシーフードを食べて貰いたかったので、

一番近いチャームに来たわけです。

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暑い中歩いて来たのですが、二人でのホテル探しは楽です。

田中に、バックを預けて、手ぶらで探せるし、

泊まっている所が気に入らないと転宿を装えば有利に交渉も出来ます。





田中は、シーフードを食べられる様なホテルを望んでいた様ですが、

浜辺で食べるなら同じ事と思い、

中心部のGH(ゲストハウス)B400≒\1200に泊まりました。






びしょ濡れに成った服等を室内に乾したら満艦飾です。

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海岸は、日曜(05年3月27日)の事も有ってか、

タイ人のグループでいっぱいです。





浜は、ポニーが客を乗せ、凧(カイト)売り等の物売りも多く、






期待はしていなかった事も有るが、

思っていた以上に奇麗な海辺は、何処も宴会状態です。





おっさんは、良い所だからゆっくりしたかったが、

田中は、着いて直ぐに一泊だけにしようと言った。





長期放浪しているおっさんと

二週間のタイ旅行をフルに楽しもうとしているおばちゃんとでは

考え方が違っても仕方が無い。

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浜辺のシーフード料理]が開店する前?に、

フード博が開催されている会場に行きました。





其処でショーを見ながら、特設屋台の料理を喰って飲んで

また飲んで喰って出して、B800≒\2400の散財でしたが、

海辺育ちの田中に言われるまでも無く、

フード博料理は、もうひとつでした。

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