アジア放浪と里山輪行

ボッーと流されるままの人生を送って居る時、澤木耕太郎の放浪記「深夜特急」に感化された貧乏放浪旅です。 将来僅かな年金で沈没(旅の途中長期に留まる)しながら放浪をするには、如何ほど有れば出来るか、リタイア生活の予行演習でも在り、日本人に生まれた幸せの確認旅でも在りました。 男のロマンか経済格差を利用した卑怯者か?

2011年10月

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来週6日に大正100年を迎えます。

古き時代の町並みをそっくり保存している

岐阜県南東端の町恵那市明智町日本大正村に行って来ました。

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自動車の街にふさわしいオシャレな橋と歩道橋


標高の高い山中なので、

明智鉄道で大正村まで行ってダラダラと下って繰れば良いのですが、

泊る所(刈谷市)の関係で、

緩いものの粗60㎞登りっぱなしに成るので、7時に出発です。

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名鉄豊田市駅前     越戸ダム


通勤時間の豊田市は、坂道が多いのとトヨタの地元と在って

車渋滞の酷い市街地は素通りで矢作川に出ました。

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赤い橋は  東海環状自動車道  越戸ダム湖


川沿いの道をひたすら上流に進めば恵那市明智町大正村ですが、

本線の右岸県道11号線は、少し川を離れた所を通るので

左岸飯田街道を進みます。

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勘八峡の越戸ダムは、電力需要に合わせているのか全く放水されて居ず

直ぐ上流のダムも同じだったので、

流れの無い水面は周りを写し鏡のようです。

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そして竹林の間から鉄道橋が観え、架線も無いので、

列車の写真を撮れると絵に成るなあ考えながらも

鉄道線が在る筈が無いと思っていると道と並行して3線軌道が走っている。

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左の堰止めが落ちアユを採るヤナ  広瀬町


鉄の血が騒ぎ、

線路幅から貨物線と森林鉄道の併用線に出合ったと思う間もなく駅まで現れた。

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三河広瀬駅は、ホームや駅舎も残り

廃線が多い名古屋鉄道らしい事は分かったが、

名古屋の鉄道事情は詳しくないので、随分離れた八百津線かな?

猿投駅から先の三河線部分廃線区間と知ったのは帰ってからでした。

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東広瀬城址の古いが重厚な建物や大きなヤナも在って、

廃線路を追う様に先を進むと方向を失う

其れでなくても目的の大正村見学に時間が掛るので

素通りしようとしていたのに、

出直さないと大正村には辿りつけないと思った位でした。

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名鉄三河山線は 平成16年4月に廃線に成った


村人に、矢作川に出たいと道を聞き、

迷い難い?本線の右岸県道11号線を急ぐ事にしました。




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椰子の実を流した処 実際に渥美見半島に漂着したそうです


伊良湖岬や唱歌椰子の実で知られた渥美半島(田原市)を一周して来ました。

先端の伊良湖岬灯台を単純往復するだけでも100km在りますので、

気合を入れて7時に豊橋を出発です。

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歩道は 合流点で行き場が無く階段に成り 公園にも迂回させれた


半島を一周する以上は、ずっと海岸沿いを走りたい、

景色を考えると左側通行の時計周りが理想ですが、

向かい風必至の太平洋側を追い風で走る予定で逆回りにしました。

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白谷海浜公園と運動場   アンツーカーは青い色でした


昨日に学習したばかりなのに、

豊橋バイパスは自転車通行禁止で入られず、

更に海寄りの高規格道路は、仕方なしに歩道を付けた様な走り難い道で

通勤ラッシュで停滞している。

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旧渥美町の郷土資料館  右は   海苔養殖で使われた海苔下駄


大きな工場が何処までも続くコンビナートの足は、

自動車大国のマイカーか送迎バスに特化されバス停や商店等は何もない

何の面白味も無い道でした。



合併で一市に成った渥美半島が、渥美市では無く田原市なのは、

此の工場地帯からの税収が大きく影響していると思います。

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網の手入れをする福江漁港の漁師夫婦  横付けしたタンカーから火力発電所へのパイプライン


ずっと三河湾の対岸が見え、町らしい街も無く、

保美からも、国道より10km程遠回りですが

海岸に沿って伊良湖岬に着きました。

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火力発電所横には風力発電所も併設  意外に小さかった伊良湖岬灯台


伊良湖港からは、伊勢鳥羽や知多半島へのフェリーも出ていて

今迄見掛けなかった賑わいで、観光地らしい感じに成ります。

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伊良湖岬手前の浜は恋路ヶ浜  沖の島は 多分 小説や映画で知られた潮騒の神島


岬からの折り返しは行き成りの坂道で、半島の太平洋側は、

三河湾沿いと随分雰囲気が変わり、

海岸沿いから少し離れた高い所に道路が在る。



そして、またまた太平洋自転車道(渥美豊橋道)に出たが、

途中から海岸までへは、長い下り階段に成っていた。

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階段を降りるのは抵抗在った  メッカらしいが気の毒な位に波がなかった


豊橋へは、遠州灘沿いを余り西へ走ると山道に成るのを知っていたので、

半島半ばの高松一色から海岸沿いを離れ田原市街に寄ったが

普通のありふれた地方小都市だった。

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道の駅では 名物のメロン・大アサリ・シラスが勢揃い


ただ鉄ちゃんとしては、

豊橋鉄道が、おっさんの住んでいる大阪市内と同じく

15分毎に出ているのには驚き嫉妬さえした。

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時刻表料金表は 共に大きくて見易かった 豊橋鉄道三河田原駅



帰りも、狭い国道は大型トラックが多く、

狭くてデコボコに成った道路端を怖い目して豊橋駅に向かいました。




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自転車道からは 海が見えず 左側のバイパス下を潜らなければ海岸に出られない


東海道の真ん中、宿場町で漁港の浜名湖畔舞阪に行って来ました。

浜松に行く度に寄ろうと思っている佐鳴湖を目指して駅から西に進むと

予想に反して市街地なのに坂が続き、

道なりに行けば湖に突き当たり一周する気でしたが

少し手前で南に向かっていた。

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大きなトラックを使い 長いはえ縄を巻き込んで居ました
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一周後には海岸沿いの太平洋自転車道に出るつもりだったので、

湖は次回にして海に向かうが、

海沿いを高速道並みの浜名バイパスが通っていて

海も見えず自転車道も整備されていない。

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イワシのぶつ切りを網の周りに刺し餌していた
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走れられるから良いのだが、

下調べでは通られると思っていた

浜名湖口を横切るバイパスの浜名大橋を含め自転車通行禁止で、

両側に松並木が続く舞阪から東海道を通った。

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あまり宿場町の形跡が感じられない舞阪だが、

漁港は1日から解禁に成ったフグ漁船でいっぱいでした。

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浜名大橋や大鳥居が望める弁天島海浜公園と新居の関所


フグは下関が本場だが、

今では海流の変化で天然フグの半分以上は遠州灘産との事で、

後部にはえ縄漁の網巻き機を装備した漁船ばかりだ。

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春にもに来た二川宿本陣と街道沿い多くの家に暖簾が掛けられていた


豊橋へは、弁天島新居の関所を通る東海道は3度目なので、


明日に備えてのウォミングアップの心算で

鷲津・新所原の楽な道を選んだつもりだったが、

向かい風に、どうも調子の乗れず

膝にも堪え(サドルが下がっていた性かも)

此れでは、翌日の本命で向かい風必至の渥美半島一周を断念して

此のまま帰ろうかと思ったほどでした。




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